50代からの車選びとライフスタイル研究所

このサイトでは50代以上の方を対象とし、車選びとライフスタイルについて参考になりそうな情報をお伝えしていきます。運転歴35年以上で軽自動車からワンボックスまで9台を乗り継いできました。50代、60代ともなりますと車の選び方や働き方、日々の生活も変わってきます。人生100年時代ともいわれる成熟の世代を楽しく生きるためのクルマ情報やライフスタイル情報、私の考えや思いをエッセイ的にまとめていきたいと思います。

【雑談】ネット普及の功罪~還暦を超えて考える

Dan Nelsonが撮影した写真

最近、あまりに詐欺メールが届くのでうんざりしています。

プロバイダーへの受信拒否や迷惑メール登録をしても、敵もさるもの、あらゆるアドレスを駆使して送ってきます。私が会員でないクレジットカード会社や、携帯会社を名乗るのもあります。「ほぼすべて」といっていいくらい、偽物です。

PCメールだけでなく、携帯にはSMSも届くのでややこしいです。最初はひっかかりそうになりました。

テレビでも紹介されていますが、本物に限りなく近いサイトがつくられています。メールレベルでは、そもそも日本語とは言い難い文章が送られてくればすぐにわかりますが、タイトルだけでは見分けがつかず、送信元のアドレスをみて判断するか、それも巧妙にカモフラージュされていたりする場合もあるので、いちいち送信元を名乗られている組織のHPを確認します。

闇バイト募集もネットがあればこそ、可能でしょう。

 

いくつかの変革期があったと思います。

最初は家庭へのPCの普及であり、次がネットの普及です。若い方はご存じないでしょうが、最初は電話回線でネットが始まりました。ネットを使っている間は、電話は使えないわけです。それからADSLの時代になり、そして光回線Wi-fiの時代となっていったわけです。

またPCからガラケーを経て、PCと変わらない情報の窓となるスマホが普及してきました。

 

一ついえることは、PCも最初は高価で一家に1台でしたし、電話も黒電話は同じく一家に1台で共用でした。それがPCも電話もスマホに集約され、個対個を結びつけることができるようになり、プライバシーが守られること=秘匿性が高まり、これが功罪両面に影響したのだと思います。

 

若者が転職しやすくなったのも、スマホが普及したからでしょう。もしスマホがなければ、応募してきた転職希望者に、求人を出している企業が、現在、在籍している会社に電話して、当人を呼び出すことはできず、家でも1台しか電話がなければ親が出てしまうと「なんの電話なの?」などと突っ込みが入ったりします。

 

記憶では十数年前までは、転職情報といえば日本経済新聞朝日新聞の日曜日の求人面と相場が決まっていました。その頃の転職者数は今よりはるかに少なかったはずです。

それが現在はネットで気軽に情報を得ることができ、人材の流動化に一役買っています。

 

また離れていても写真や動画も手軽に共有できるようになりました。昔はビデオカメラごと持参したり、DVDに焼いたりして(今や「焼く」は死語ですね)祖父母に子供の動画を見せていました。

 

考えてみると格段に生活の便利さが向上したわけですが、それと引き換えに冒頭に書いたような犯罪に絡む使い方がされていることが残念でなりません。

かつてはテレビでしか事件というのは報道されませんでしたが、今はネットニュースで何度でも見れますし、関連する情報も真贋はともかく、いろいろ出てくる時代です。

犯罪の凶悪化もこうした情報がいつでもどこでも見られるようになったことや、反社会的な製造物も調べればその一端が情報として入手できるようになると、ひとえに情報の受け手のモラルが問われます。

 

あっという間に普及したChat-GPTも、いまや日本の大学でも一定の規制を始める動きも出てきているようです。便利さに胡坐をかき、自分の頭で考えなくなることは、とても懸念されます。

ただでさえ、対人コミュニケーションが苦手が若年層が増え、遠隔授業に慣れ切った生徒、学生が、対面授業に切り替わったとたん、ネガティブになるのも珍しくありません。

 

ジジイのたわごとになってきましたが、昭和の時代はこうしたことは全くなく、恋愛もすべてアナログで、相手の家の黒電話に電話をかけ、父親がでればきちんと挨拶をして、それから取り次いでもらう、という時代でした。

待ち合わせ場所ひとつとっても、今のように現場でラインで調整をするということはできず、事前に「こうした場合はこう、そうでない場合はこうしよう」など、想定されるパターンを考えて、さらには駅の伝言板なども活用してコミュニケーションをとっていました。

 

現代の難しさは、学校などでの道徳教育や情報リテラシーを教える内容を文科省がああだこうだといっている間に、現実のほうがどんどん進んでしまう点でしょう。

そうなると家庭での家族間のコミュニケーションがさらに重要性を増すように思います。地方のほうがクルマ生活なので、子どもも中学生や高校生になっても親に部活のときに送ってもらうことが多く、祖父母も同居の家庭もあり、古き良き日本が残っているような気がいたします。都会のように、一人で公共交通機関であちこち行くことができないという不便さが、一定の抑制をきかせているのだと思います。

 

いろいろな意味で高度化し、複雑化し、上下も左右も幅が広がっていくこれからの時代、それぞれがしっかりとした羅針盤をもつことが必要かも知れません。