50代からの車選びとライフスタイル研究所

このサイトでは50代以上の方を対象とし、車選びとライフスタイルについて参考になりそうな情報をお伝えしていきます。運転歴30年以上で軽自動車からワンボックスまで9台を乗り継いできました。50代、60代ともなりますと車の選び方や働き方、日々の生活も変わってきます。人生100年時代ともいわれる成熟の世代を楽しく生きるための車情報や、ライフスタイル情報をさまざまな手段で収集し、まとめていきたいと思います。

能力主義について考える~マイケル・サンデル氏をきっかけに

 

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本日、『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(早川書房)が刊行されました。これに合わせ、本日の日経の最終面に著者であるマイケル・サンデル氏のインタビューが掲載されていました。
同氏はあの、白熱教室を書いたハーバード大学教授です。

本日発売で、まだ読んでいませんし、当面読むこともなさそうなので、紙面のインタビューだけでも

と思い、滅多に読まない文化面(最終面)に目を通しました。

最も印象的だったのは「過当な競争で敗者と勝者を分け、置き去りにされた人が怒りに苦しむだけでなく、成功者でさえ傷つくのが能力主義の代償だ」という言葉です。

この本そのものは能力主義の負の側面を伝える内容だそうです。

能力主義の難しさ

昔の日本は古き良き時代でした。

年功序列、終身雇用の時代、もちろん管理職に全員がなれるわけではありませんが、それでも役職とは別に、主事、参事補などの資格で処遇し、課長、部長などの役職者と、手取りではさして差がつかないような会社も多かったことかと思います。

またラインとスタッフという考え方のもと、ライン上の部長のほかに、担当部長などの肩書を用いて、部下のいない管理職として処遇していたことも珍しくなかったはずです。

 

ただし、こうした時代の定年は55歳で、定年延長制度もさしてなく、一方で公的年金が今よりはるかにマシな時代でした。

 

つまり55歳くらいでリタイアしてくれるので上が詰まることもさほどなく、適度に子会社を展開していれば出向先(片道切符)も確保できるので、一応真面目に働いていれば、管理職になるならないの差はあっても、入社同期と収入的にはそれほど大きな差がつくことはなく、だからラインの部長になった方と、役職には恵まれなった方が、それぞれの役回りでうまく機能していた、という実例を、当時、若輩者だった私は見ております。

 

部長のほうが偉ぶるわけでもなく、非役職者の方も卑屈になるわけではなく、部活風にいうと主将と、ベンチ入りできなかった3年生もしくは選手からマネに転身した3年生が、うまく協力しながら下級生をまとめてチーム力のアップに努めている、といった感じでしょうか。主将とマネがお互いに「あいつのおかげだ」とかいいながら尊敬しあい、その姿がチーム全体に好影響を及ぼす、というようなケースに似ていました。

 

もちろん、この場合も切磋琢磨は当然、必要ですが、高校球児などがそうであるように、背番号をもらえた組、もらえなかった組、と雌雄を決したあとは、それぞれができることを精一杯やる、ということがその組織の一員の務めというものでしょう。

 

能力主義は本当に難しいと思います。どの仕事でも完全に数値化して測定することができないからです。ボウリング大会をやって、ボウリングのうまい人を決めましょう、というのなら簡単です。単にスコアの良い方から序列をつければ、これは完璧な能力主義です。

 

似たような考え方に「成果主義」というものがありました。『虚妄の成果主義』という本があったように(モデルは富士通)、一時、もてはやされましたが定着せず、最後は弊害が強調されるようになりました。

そして最近は「ジョブ型」です。私は、これも難しいと思います。やがては、ジョブ型雇用が一部で定着するかも知れませんが、これもジョブを定義する職務記述書の作成が極めて難しいと考えます。リンゴやスイカを人数に応じて分けて切るみたいに、業務をきれいに分けきることは不可能です。正方形のパン生地を、丸い型で抜くみたいなもので、型を抜いたあとに残る、十字の星形の部分は「誰がやるんだ?」ということになります。どうしても、この星形の部分は残ります。こうした残った部分だけを専門的やる職務記述をつくって、ジョブ型雇用すれば、すべて埋まるという理屈にはなりますが、こんなジョブ、職務記述書を誰が作るのか、それを読んでやりたいと思うような人がいるのか、という問題があります。

 

能力を評価する難しさ

Aさんは誰がみても能力的には「10」の力量がある。一方の同期で、同じ部署のBさんは「7」の力量だったとします。昨年度の下期の査定をしなくてはならいないとき、評価者の目からみて、Aさんは全力を出し切ったとはとても言えず、せいぜい8割くらい。一方のBさんは本当によく頑張った、持てる力をいかんなく発揮し、100%かそれ以上の獅子奮迅の活躍をしたとしましょう。

・Aさん:10×0.8=8

・Bさん:7×1.0=7

(※現代の複雑な業務形態において、このように客観的に数値化できる仕事は少数派で、多くは定性的な部分が多く、あくまで実力も、頑張り具合も定量的に測れたとして、というたとえ話です)

こうしてみると、会社への貢献度は底力に勝るAさんがBさんと上回る、という数値になります。しかし実際は、獅子奮迅の活躍を見せたBさんに何らかのプラス材料(周囲に好影響を与えた、自分の限界を打破するための行動が認められた、など)を加味してBさんのほうを評価する上司のほうが多いのではないでしょうか。

冷静に考えれば、全力を出していなくても実力に勝るAさんのほうが会社に貢献しているにもかかわらず、です。

そしてそもそも、上の※に書いた仮定そのものが、現実的ではありません。実力も頑張り具合も実際は定量的には測定できず、上司という「人」のハロー効果などが排除しきれないからです。

 

所詮、客観的な公平な評価というのが現実的でない以上、私としては、能力主義だのジョブ型だの、「個人」のスタンドプレーにスポットをあてるより、one for all, all for one的な集団型チームプレーを得意とするような組織のほうが、働き心地がよいように思います。時代が違うと言われようと、そうやって日本は経済成長を遂げてきたという歴史があるのです。

米国の社会学者であるエズラ・ボーゲル氏は Japan as No.1 (著書名、副題は「アメリカへの教訓」と言ってくれたのですから・・・。

 

本日もお付き合いくださり、ありがとうございました。