50代からの車選びとライフスタイル研究所

このサイトでは50代以上の方を対象とし、車選びとライフスタイルについて参考になりそうな情報をお伝えしていきます。運転歴35年以上で軽自動車からワンボックスまで9台を乗り継いできました。50代、60代ともなりますと車の選び方や働き方、日々の生活も変わってきます。人生100年時代ともいわれる成熟の世代を楽しく生きるためのクルマ情報やライフスタイル情報、私の考えや思いをエッセイ的にまとめていきたいと思います。

ジョブ型かメンバーシップ型か

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(Photo by Icons8 Team on Unsplash)

このところ経団連に関する新聞記事の中で、よく出てくるのが「ジョブ型雇用」だ。

欧米でよくみられる雇用ということで、その職務を明確にしたうえで、その職務を全うでる(できそうな)人を雇うというもの。

日本では中途採用、特に管理的立場の人を募集する際に、たとえば「人事・労務管理について広範な経験があり、人事制度設計をして実際に運用した経験がある方、最低でも人事5年以上の経験必須」だとか「広告業界等で広告宣伝のキャリアが10年以上あり、消費財のマルチメディアの販促キャンペーンを企画・立案し、実績を残した経験のある方」など、第二新卒以外では、具体的な応募条件が付されているケースが最近ではほとんどだ(例は私が適当につくったものでフィクションです)。

 

特にいわれていなかったが、これらもジョブ型採用といえる。

 

では、こういう求人に応募できるキャリアをもった方は、どうしてその経歴を身につけたかというと、おそらくは、たまたま最初に配属されたり、異動となった部署で、会社の都合や自分の希望もあって、長くその業務に従事し、経験を積んだというケースが多いと思う。

 

つまり、最初はメンバーシップ型雇用、いわゆる総合職で採用され、部署異動もあれば転勤もある、という雇用のされ方だったはずだ。

経団連は新卒にもジョブ型を導入することを働きかけるという。

おそらくはデータサイエンスやAI、または特殊な分野の研究をしてきたような学部や大学院出身者をイメージしているのだろう。

 

企業の中には、外に対してではなく、社内のポストについて社内から公募するジョブ型をまずは導入する動きもある。

 

スーパージェネラリストの時代は来るのか?

こうした動きは、ちょっと前までは「スペシャリスト」といわれていたのではないか。

これまで日本型の雇用は新卒一括採用、終身雇用(それに昔は年功序列)が前提で、当然のように転勤や部署異動があり、労組の委員長をやっていたかと思うと、その人がやがて人事部長になったり、と諸外国からみると不思議な点もあっただろうが、それでも日本はこの方式で各企業は業績を伸ばし、日本経済は成長してきた。

 

それがこのところ、GAFAやテスラなどの欧米企業に先進分野では圧倒され、中国や韓国などのアジア勢にも押され気味だ。こんなこともあって、日本全体が自信喪失気味なのではないかと思う。

 

そこで日本型から欧米型の雇用にシフトし、挽回していこう、というだろう(か?)。

ともすればこれまでやってきたことを批判的に見がちであるが、日本型雇用ならではの利点もたくさんあったはずだ。なにより、自社のいろいろな部署を経験したからこそ、経営に携わったときにその経験が生きるのではないか。

日本は自社の中から社長を育て、脇を固める取締役ともども経営執行体制をとってきた。

 

いわばスペシャリストに対して、ジェネラリスト、それもそこそこのスペシャリティをもった人が大勢いて、その中で切磋琢磨し、運やコネもあるだろうが、その中からラインの部長や役員などが輩出されてきた。とはいえ、社歴の中で長かったり精通している分野があると、それを称して「○○畑出身の・・・」という言い方はされるのだけれども。

 

古きよき日本の企業スタイルで(それも途中までで、成果主義だのなんだのいわれたころから怪しくなってきたが)育ってきた私は、どうしても哀愁的なのかもしれないが、日本の伝統的雇用方式や終身雇用を前提にした育成制度などは優れていると思っているし、それによって愛着や連帯感も生まれたのではないかと思う。

支店ごとに野球部があって、野球大会があったり、運動会があったり、職場旅行にいってドンチャン騒ぎをしたり・・・。

 

こうしたジェネラリストの集団の中から、少し違う視点や考え方ができる人が、いわば「スーパージェネラリスト」として昭和から平成の日本企業をけん引してきたように思う。

 

すぐにそうならないとは思うが、ジョブ型雇用が主流になってくると、スーパージェネラリストは育つのだろうか。それとも「社長」も一つのジョブとして、ジョブ型雇用として社長(今風にはCEOというべきか)を公募するようなことになるのだろうか(そのような募集があったら条件をみてみたい、とんでもないスペックが要求されるだろう)。



うがった見方をすれば

ある分野を新規にたちあげるときに、社内に人材がいなけれがジョブ型で募集する。やってみてしばらくすると、もともとの社業との相乗効果もなく、お荷物になってきた。そして、その新規事業は閉じることになったーーというような場合もゼロではないだろう。ジョブ型の前提となる職務記述書に書かれたことが消滅するのだから、中途で入った方々はどうなるのだろうか。

 

そんな心配をしなくても、そもそもスぺシャリティがあるのだから、またほかの企業の募集に応募して、そこで働ける、というのならよいかと思う。

 

ジョブ型が進むと、各事業分野ごとに人事や採用の権限も委譲されていくという。

すると、部署ごとにタコ壷に入り込んでいってしまうのではという懸念もぬぐえない。セクションごとの対立だってあるかもしれない。あちらはあちら、こちらはこちら、それぞれ我が道を行くーーなんてことだってあるかもしれない。

 

日本は産業型の労組ではなく、企業組合であることに代表されるように、個々の企業がベースになって、切磋琢磨してきた。

ここで突然車の話になるが、日本の軽自動車があれほど技術的に発達したのも、スズキとダイハツ、そこにホンダや日産・三菱が割り込みをかけながら競い合ってきたからこそと考える。

 

マイルドハイブリッドではないが、ジョブ型を取り入れるにしても、”マイルドな”日本型にアレンジされていくとよいなと思う。

そしてジェネラリストも大切にしてほしい。