この記事の概要
なぞかけみたいなタイトルですが、電気自動車の普及の条件について、デジカメが普及していった流れになぞらえていろいろ考察していきたいと思います。普及していったときの産業の変化にもちょっとだけ、触れました。
ここからが本日のお話です
突然ですが「閾値」って読めますか。
「しきいち」と読むそうです。
何十年も生きてきましたが初めて出会った言葉でした。
22日の日経の「経済教室 Analysis」というコラムに学習院大学の柴田友厚教授が寄稿していました。
脱炭素社会と自動車がテーマで、かなりざっくりいうと、日本にはEVとFCV(燃料電池車)の選択があるが、EVのほうが有利、というのが結論です。
なぜかというと、EVと自動運転、再生エネルギーとは相性がよいから、というのがその理由です。
ここで「閾値」の登場です。私なりの解釈ですと、Aという状態からBという状態に移行する、ぎりぎりの境界の値ーーということかと思います。
内燃機関エンジンから電気自動車に移行するときに、この閾値を超えられか、ということがポイントだそうで、それを超えると、Bの状態のサイクルが自律的に回りだし、急速にBの普及が進む、と柴田先生は言っています。
フィルムカメラからデジカメへの移行
この記事で例に出されているのがデジカメです。あれほどデジカメが普及したのはなぜか?その背景として、パソコンの普及をあげています。
それまで高価だったパソコンですが、当時、ソーテックという会社が10万円くらいの製品を発売し、それが口火となって大手メーカーもこぞって家庭向け低価格モデルを発売したと記憶しています。
回線も電話回線からADSLと移っていき、やがて光回線になります。
1995年にカシオからQV-10という機種が発売がデジカメの火付けとなりました。
一方、パソコンではあの、Windows95が発売されました。
こうしてみていくと、当時のデジカメの画素数もパソコンのハードディスク容量や処理速度はそれなりに低い次元でバランスしていましたから、両者が補完しあって普及した、というのも納得です。
デジカメを使うならパソコンが必要だし、せっかくパソコンを買ったなら、カメラもデジカメにしよう、という動きになりますね。閾値を超えて一気にデジカメが普及し、フィルムカメラのシェアを奪っていきました。
余計なことですが、ではフィルムカメラをつくっていた会社はどうなったか、というと、キヤノンやニコンは残りましたが、コダックは消えました。
フィルムをつくっていた富士フイルムは興味深い企業です。
いち早く「写ルンです」や「チェキ」を編み出し、一方で医療分野やオフィス分野へと軸足を移していきました。日本企業の中でも転身を図ったお手本みたいな感じで取り上げられますね。
さて、ではデジカメはその後、どうなったかというと、スマホにその役割をとって変わられました。カシオも2018年にデジカメから撤退しました。
電気自動車にとってのパソコン役は?
デジカメはパソコンという良き伴侶を得られたことで普及しました。その後、ぱはスマホに恋をして、デジカメは振られた格好になってしまいましたが。
では電気自動車にとってのパソコン役はなんでしょうか?
柴田教授は、充電スタンドの普及だといいます。また自動運転へのシフトも、モーターを直接、制御する電気自動車の方が有利だろうと述べています。
今のところ、電気の充電スタンドは、サービスエリアやディーラーの店舗、道の駅やコンビニ、ホテルなどの一部の駐車場に備わっている程度です。
鶏が先か卵が先か議論
となると、スタンドが普及すれば電気自動車も普及するのか、はたまたその逆なのか?
まず、鶏から考えます。いや、卵かもしれませんが、それはこの際、おいといて‥。
全国のガソリンスタンドが電気スタンドに変わっていかないと、インフラとしては厳しいですよね。
次に卵です。電気自動車の普及には価格が問題です。そして航続距離です。
このどちらにも深く関わるのが電池です。
これについては過去に記事にしました。
おそらく電池が安くなれば、車両価格が下がるでしょう。また諸外国のように、政府が普及を図るため、補助金額を増やすとか、さらなる税制優遇措置がとられるとか、などの施策の後押しも必要でしょう。
ただ、以前にも書きましたが、日本では電気をつくるのが火力発電中心ですから、根本的なところで脱炭素なのか、というところを含めて検討しないといけないでしょう。
安全支援装置と自動運転
自動運転となると、出力を細かく調整できる電気モーターが有利であることはわかるような気がします。
余談ですが、最近の日本のディーゼル機関車は電気式です。つまり、ディーゼルエンジンで電気を発電し、その電気でモーターを駆動する、というものです。ほかにも理由はあるようですが、最後はモーター駆動のほうが制御しやすいのですね。
これからどこまで「やっちゃえ日産」みたいに自動運転が現実的に普及するかはわかりません。
日々、ハンドルを握っているものとしては、日本の道路のレーンというのは、はっきり見えるところ(つまり白線が夜でも認識できるところ)が少ないように思います。数少ない経験ですが、米国のフリーウェイを走ったときは、ペンキのレーンの代わりに、大きな鋲のようなものがうたれており、これは夜でもヘッドライトを反射して、くっきりと識別できました。
日本は、特に雪国などは、一冬越すと、見えにくくなります。となると、よほどGPSが正確になるとか、車同士がコウモリのように電波を発信しあって、お互いの位置関係を知らせあうとか、といったように道路の白線には頼らなくても制御できる仕組みが不可欠でしょう。
高速道路はともかく、街中の細い一般道(そもそもセンターラインがない道路も地方では普通にありますし)ではレーンをきちんと整備することは、おそらく不可能でしょうから、少なくても私の目の黒いうちは、自動運転は高速道路限定なのかと想像します。
一方、安全運転支援システムは電気自動車だろうがガソリン車だろうが、今のところはさほど代わりがないように思います。電気を遮断してモーターをとめて、仮に車輪をロックさせることができても、物体としての車は急には静止できませんし、乗車している人間にも、あの細いシートベルトでは、体に損傷がでやしないかと心配にもなります。
フィルムカメラからデジカメへの転換と同じ?
こうしてみていくと、内燃機関の車がフィルムカメラだとすると、電気自動車はデジカメのようなものかと思います。登場するプレーヤー(メーカー)だって、カメラと同じように変わっていくかもしれません。
「今はパナソニックのSUVに乗っているけど、今度はソニーのにしようかと思う生んだ」なんていう会話が交わされる日が来るのかもしれません。
そしてデジカメになった瞬間に不要になったのがフィルムです。それをあてはめるとガソリンスタンドということになるのでしょうか。やはりガソリンスタンドは充電スタンドになっていくのでしょうか。
唯一、ガソリン車しかつくっていなかったダイハツが、いよいよハイブリッド車を手掛けるという記事もありました。
いずれにしても電気自動車関連は引き続き関心をもってウオッチしていきます。
本日もお読みいただき、ありがとうございました。
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